
このブログでは、京都を拠点に活動する「フリーランスの徒然なる日常」をテーマに、人生と旅のこと、わたしが日々感じていること、お仕事のこと…など
ちょっと役に立つことを等身大の想いで綴っています。
自分にとっての「常識」が覆された時、自分の期待と相手の反応がかけ離れている時ほど、人は裏切られたような気持ちになってしまうもの。
過去に極度に対立を恐れる平和主義ゆえに、気がつけばいい子になって対話することもしなくなっていた時期がありました。
言わずにガマンしてこの場を乗り切れば何とかなるか、そんな軽い気持ちで表面上は乗り切れても根本的な解決には何もなりませんでした。
失われるのは、自分への信頼、最初のうちはそうやってごまかせてもいつかは歪みが出てしまいます。
今でもなるべく平和に過ごしたい気持ちに変わりはないのですが、最近は、過去の失敗から言わずに分かってもらおうとするのはやめました。
ついついやりがちな相手への過剰な期待。
恋人のチャットの返信に求めるレスの速さ、こんな時はきっとこうしてくれるだろう、という相手への淡い期待。
それも全部こっちが自分の基準や価値観に基づいて、相手に寄せた勝手な期待なんですよね。
ついつい自分と同じ考えであってほしいとナチュラルに期待してしまうものですが、そこは他人である以上相手が誰であろうとむずかしいところ。
何でだろう…と深掘りしていくとキリがないので、どうしても思うことがあればなるべく言葉を選んで伝えるようにしています。
なかなかすんなりと受け入れてもらえないこともありますが、相手を思う気持ちがあれば、そんな中にも妥協点は見つけられるのかな、というのがここ最近の考えです。
何事も当たり前だと思わないこと
やってもらって当たり前だと思えば、感謝の気持ちを抱くこともないでしょう。
「ありがとう」の反対は、「ごめんなさい」じゃなくて“当たり前”だよ、とはじめて教わった時ハッとさせられるものがありました。
いつか終わるかもしれない、そんな気持ちがあれば、この瞬間も当たり前なんかじゃないなと自然と感謝の気持ちが芽生えたりします。
過去に縛られず、変わることを恐れず、当たり前になっているものを見つめ直して、時には柔軟に自分にとって必要なものとそうでないものの棚卸しはしていった方がいいなと思ったりします。
そもそも問題にしないこと
事実はひとつにも関わらず、困ったことにあれやこれやと余計な気持ちを切ったり貼っつけたりして、反応してしまうのが人間というもの。
起こったことは変えられないし、そもそもこれは悩んだことで状況が1ミリでもよくなるのか、ならないのかということはいつも考えるようにしています。
問題にするから、辛くなる。
これは、本当に言い得て妙ですよね。
本来は、悩みなんて全て自分がつくり出した幻想なのかもしれません。
たまには、このロジックを思い出して、余計なしがらみから解き放たれてみるようにしています。