PROFILE

自己紹介

はじめまして。
旅するヨギーニことKahoです。

三度の飯より、旅が好き。

暇さえあれば、世界地図と睨めっこ。

次は、どこへ行こうか?と考えながら、航空券予約サイトを往復しています。

無類の旅好きであり、旅と写真と文章をこよなく愛しています。

現在は、京都でフリーのWebデザイナー/ライター/フォトグラファーとして活動しながら、当ブログを運営しています。

このブログでは、京都を拠点に活動するフリーランス女子の徒然なる日常をテーマに、仕事やライフスタイル、ライフワークである旅のことを中心に綴っています。

皆さんにも、お役に立てることや気づきが少しでもあれば嬉しいです。

略歴

新卒で大手出版社に入社(総務・人事・広報・役員秘書として勤務)/カナダ・トロントへ海外留学/メーカー転職/紆余曲折あり退職/2週間後、バックパッカーとして4ヶ月ほどヨーロッパを周遊・アジアを放浪/帰国/フリーランス(Webデザイナー/ライター/フォトグラファー)として独立。

ここから先は、わたしという人間が形成されるまでに深い影響与えたものや人生観についてお話しさせてください。

一見すると、表向きにはとても綺麗な肩書きのように映るかもしれません。

しかし、本当にやりたかったことに出会うまでの自分はとても葛藤していました。

あなたにしかできない仕事はしないでほしい…

入社して数年くらい経った時に、ある先輩に言われた今でも忘れられない一言があります。

当時、総務人事で働いていたのですが、その先輩はわたしの仕事にフィードバックをくれる教育係のような立場でした。

あなたにしかできない仕事はしないでほしい…

ハッとさせられたのも束の間、絶望したのを覚えています。

どんな案件だったか仕事内容の詳細までは忘れてしまったのですが、要するに相手を思って良かれと思ってやったことがまるで空回り。

先輩にそのような指摘をされて、自分のやった仕事が裏目に出ているのを目の当たりに見た瞬間でした。

そうと思うと後々悔しい気持ちにもなりました。

求められているものがまるで違う。

悲しいけれど、ここが組織である以上わたしはいちコマでしかない。

ここにいる限り、この仕組みに従わないと生きていけない。

道理でたった一人の人間がやめても、今日も会社は潰れずにまわっていくという訳です。

組織のいろはが、“誰でも” “いつでも” “代替可能な仕組み” ならば、

自分が求めている世界は、その対局にある、と思いました。

あの時の思いが今の自分を突き動かす原動力になっているのは言うまでもありません。

今も私の消えない記憶として定着しています。

その頃から、正解のない世界で生きたいと強く思うようになりました。

誰がやっても同じ結果を求められている。

そんなゴム印を押印するかのような毎日に終止符を打たなければいけないと思いました。

だけど、その後どうやって生きていけばいいのか分からない…

こんなことばかりやっていてはいけない。

早く自分の人生を生きなきゃ。

現実と理想のギャップに焦る一方で、具体的な行動指針をつくるまで随分と長い間会社員をしていました。

クリエイティブが求められる世界で生きたい—

人生をかけて自分の作品を世に生み出していく、そんな日々を第二の人生として歩みたいと思いました。

会社を辞める直前。肩書きを手放すのが、怖くて震えた夜

そこから、4年後に海外留学をしたい決めて、しばらくは会社員として働いていました。

そこまではできる限りの努力を続けようと思いました。

長いと思っていた4年も気づけば、もうすぐそこというところに差し掛かった頃、

もうここからは、会社の後ろ盾はなくなるんだ。

あらためて自覚すると怖くて震えたのを今でも覚えています。

私は知らないうちに自分の肩書きがお気に入りだったんだなということに気づきました。

まずは、社会のレールを降りてみた。

それなりに努力して、手に入れたそれなりの肩書き。

学生の頃から優等生として扱われ、世間や社会が認めるレールを忠実に生きてきた、私。

自分の人生は本当にこれでいいのか?

もっと挑戦したかったんじゃないのか?

ホワイト企業の会社員という温室育ちの自分が知らない世界がきっとあるはず。

それを知らずに、これからの人生を生きていくなんて考えられない。

もっと面白い世界がきっとあるはず。

そう思うと、限りある人生、ただの会社員でいることが本当に本当につまらなく思えてきました。

きっとそういう面白い世界が未来で自分を待ってくれているはずだ、と根拠のない自信だけで、向こうみず決断を下し、わたしは会社をやめました。

当時は、25歳。

今ここから出ないと一生後悔することになる。

5年後?10年後?

もっと出づらくなるよ。

今しかない。

そうして、長年の夢だった海外留学を果たすため、カナダ・トロントへ旅立ちました。

挫折と自信喪失のオンパレード 何をやってもうまく行かずに苦しんだ海外留学

これからは、やりたいことでいっぱいの日々が待っている。

必ず、大きく成長してくるから、と応援してくれる周囲に豪語して、日本を旅立ちました。

4年間、どんなに辛いことがあろうと乗り越えられたのは、この瞬間を今かいまかと待ち侘びていたからでした。

…しかし、結論からいうと、この留学は私にとっては失敗に終わりました。

自信を喪失するには十分すぎるくらいの挫折と自分の弱さをまざまざと見ることになった日々でした。

余程、尖っていたのでしょうか。

最初から、そんなに何もかもうまくいくはずがないのです。

これまでの人生で大きな失敗を経験したことがなかった自分は、何をやっても思うように結果がついていかない日々に焦りを覚え、日に日に自信を失っていきました。

何を言われても、笑顔で気丈夫にYes.と答える日々は無意識のうちに自分のアイデンティティを失っていきました。

周囲の仲間には恵まれたのですが、海外へ出てきても偽りの仮面を被って生きている自分が大嫌いになりました。

今から言えることがあるとすれば、あの頃の自分に圧倒的に足りなかったのは、楽観性と予定調和が狂うことを受け入れる広い心だったかもしれません。

いずれにせよ、何かがおかしいと思いました。

ここにいても、自分の理想とする世界はないかもしれない。

毎朝ベッドの上で、窒息するように目覚め、外の体感はマイナス30℃を下回るのに、不安で押しつぶされそうになりながら、大量の冷や汗をかいて目覚めていました。

頭の中は、常に軽いパニック障害を引き起こしていたように思います。

自分はもっと強いはずだ。

こんなのは、本当の自分じゃない。

身の丈を自覚するのが怖く、見てみぬフリをしていたら、ついに身体が限界を迎えてしまいました。

自分が好きで選んだ道になのに、どうして?

海外へ出れば答えが見つかるはずだと確信していたのに、ますます自分が分からなくなりました。

モロッコ人との出会い

カナダから帰国する直前に出会ったモロッコ人で兄のように慕っているモハメドという友人がいます。

よくカフェや図書館で勉強を教えてもらっていたのですが、その彼がある日自分は手相を見れると言い出しました。

わたしと言えば、占いは基本嫌い。

お正月のおみくじさえも最後に引いたのはいつだったか覚えていない…

そんな私に彼は有無を言わさず、手を出すように言ってきます。

差し出した右手のひらを見て、彼はこう呟くのです。

どうせ、戻ってくるから。

は?正直、何を言っているのかサッパリ分かりませんでした。

心配したって一緒。君の人生は、海外との縁は切れない。むしろ、これからどんどん縁が深くなっていく。海外と繋がることでこれからの人生が開けていく

何を言っていることでしょう。

夢破れて、絶望の果てにこれから帰国しようとしているところなのに。

励まし方間違っているよ、と当時の私はまるで信じることができませんでした。

帰国してからの日々

日本から帰国した日々は、控えめに言って地獄のような毎日が待っていました。

帰る場所を失った。

夢も希望もありゃしない。

根本からとことんまでへし折られた自信、完全に失った自尊心。

何が正解なのか分からなくなって、突破口も出口も見失った。

これから、自分は何に向かって進んでいけばいいんだ—

ない頭で考えても考えても、分かりませんでした。

Googleも答えを教えてくれませんでした。

毎日、朝を迎えるのが怖くて、このまま眠らずに起きていようかとずっと考えていたことさえありました。

学生の頃から、これまで自分は強い人間だし、陽キャラだと思っていたけど、まるで人が変わったかのに暗く沈んでいました。

自分を極端に責める日々。

もう反省は言い加減にしなさい。

暗い顔をしていたら、良いことなんてやってこないよ。

自分の人生は明るいと信じなさい—

そんな風に、家族から怒られることもありました。

分かっているんです。

でも、明るかった頃の自分をどこかに置き忘れてきたようにしばらくは沈んでいました。

転職

人間はショックな記憶は覚えていられない…

人間の自己防衛反応というのはうまく出来ているようで、正直、そこからの記憶はあまり覚えていません。

道理で記憶が断片的でところどころうまく思い出すことができないのかと今になって振り返ります。

そこから、何とか気持ちを普通レベルにまで立て直し、メーカーに転職しました。

新卒から勤めた会社を退職するとき、後ろ髪ひかれる思いに浸るのを断ち切るように、

スーツのカッターシャツも全て処分していたので、咄嗟の入り用に困りました。

もうしばらくはお世話になることはない、と。

(こんなに早く必要になるなんて夢にも思っていませんでした)

随分と前から大好きだった私の人生のバイブル「生き方」の著書の方の会社です。

結果的に、先方との契約のことなど様々な理由が重なり、半年で退職することになったのですが、限られた短い期間の中にも、これまでの人生を叩き直されるような学びが多かったなと振り返ります。

逃げ出すように再び海外へ

退職から、2週間後。

私は、フィンエアーの機内にいました。

カナダ留学からちょうど1年が経っていました。

どうやったら、本当の自分に出会えるんだろう。

片道のフィンランド行きのチケットを手にして、逃げるように海外へ飛び出して行きました。

誰に反対されようが、止められようが、わたしはわたしの人生を生きると決めて本当にやりたいことに向かって突き進んでいきました。

滞在期間が長すぎる、と入国審査で訝しがられようが、おかまいなしです。

すぐに出ていくから、と強気で押し切り、許しを受けてゲートをくぐったあの日のことがとても懐かしいです。

英語力は問題なかったのか?

当然の疑問が沸いてきますよね。

それが本人もびっくりするくらい大丈夫でした(笑)

自分でも何故だが理由は分かりませんが、英語が通じなくて困ったことは一度もありませんでした。

曲がりなりにも、留学での経験が活きたのでしょうか?

どうやら、神様はタイムラグのあるギフトを用意してくれていたようです。

帰国してから無意識のうちに練習するでもなく、やっていたことがタイムラグを経て実を結んだような気がしました。

「もう、英語なんて二度と聞きたくない」

志半ばで夢を挫折した自分を嫌でも思い出してしまうことを嫌って、そんな風に思ったことも少なくありませんでした。

「でも本当は、好きなんでしょう。分かっているよ」と言いたげなもう一人の自分がいました。

そうなんです。英語は、幼い頃から憧れた大好きで大好きでたまらない世界へのパスポートでした。

世界中を自由に旅する—

自分が本当にやりたかったことはこれだ。

それを止めていたのは、他でもなく自分だという事実に気づいた瞬間でした。

旅を愛する理由。長いトンネルから脱出させてくれたのも、旅でした。

旅は、いつもわたしの人生になくてはならない処方箋のような役割を、そして生きるエネルギーをもたらしてくれます。

人生のターニングポイントとなる時は、いつも旅が側にありました。

はじめての一人旅で訪れた、イタリアで出会った家族。

会社を辞める決断のきっかけを与えてくれた、インドのアーユルヴェーダの女医さん。

会社をやめて、バックパッカーとして飛び出す勇気をくれた、ヨーロッパ周遊、アジア放浪。

国境を越えるほどの愛を教えてくれた、デンマーク。

新たな道に進む勇気をくれた、ベトナム、そこで出来たかけがえのない友との出会い。

ここに挙げたのは、ほんの一部です。

旅を人生のライフワークにする。

心から求めていたことはこれだ、と確信に変わりました。

失敗も燻りも、全部コンテンツになる。

自分が人生をかけてやっていきたいことを誰に遠慮することなく人生のど真ん中で楽しんでやっていきたい。

旅を通して、人生をかけてやっていきたい3つのことに出会えました。

文章、デザイン、それから写真。

旅をしたから、出会えたのではなく。

本当は心の中にすでにあったものでした。

しかし、それをやることに無意識のうちに心にブレーキをかけていたのは自分でした。

仕事も遊びも全力で。

ずっとやりたかったことをライフワークに。

人生のメインイベントとして、ど真ん中でやっていきたい。

自由を選択し、楽しく生きるためには、努力も必要かもしれません。

でも本気で夢を実現したいのであれば、そんなことは努力のうちには入らないでしょう。

努力をするにせよ、いつもどんな時も楽しむ心だけは忘れたくないなと思っています。

自分のつくったプロダクトで目の前の人を笑顔にする。

面白くてやさしい世界を自分の影響する範囲から広げていく。

そんな終わりなき夢を新たに持つことが出来た今、もっと、もっと高みを目指して出来ることを積み重ねていきます。

人生の旅は、まだまだ続きます。

2020.11(2021.1更新)